中田耕市プロファイル 
中田耕市プロファイル
このURLは、私のビジネス経験とアイデア・企画立案・商品開発・実践・企業活性化行動など、
具体的に私自身が開発・構築し実践してきた事を羅列し説明することで、私を知って頂くと同時に
経済活性化はアイデア次第で、可能であることを伝える目的で作成したものです。
(注:私の実践及び活動は、マスコミや実践活動経緯等で証明可能です)

私は、過去にベンチャー企業を立ち上げましたが、倒産させてしまいました。(大型倒産です)
その後も多くの経験をしましたが、地獄の様な日々を過ごした事を忘れません。
新商品開発を行うことで事業展開を進められるようになり、またレザーブランドも立ち上げる事が出来ました。
長年の日本の中の経済行為で、多くの組織経済の問題点を実体験で知る事になりました。


日本では、大手上場企業の下請けや公共事業及びその下請けなどが優良中小企業と考えられています。
また、一般事業でも、外で作られた商品の流通(商社行為)が殆どです。
これでは、日本の製造業は、滅びてしまいます。またインディペンデントな事業は、それだけでも
評価されるべきです。しかし、まったく逆に大手企業との繋がりがないことで、信用度は低いと判断されます。

これでは、本当の意味でオリジナルな事業をするものは評価されません。
本当の経済活性化を真剣に考えると、現在の日本の経済体質は、とても憂慮すべき事と思います。

私の意見・日本の経済低迷の問題点(このままでは日本の経済は本当に駄目になります。)
どうして現在の日本が低迷しているかについて、どれだけの人が理解しているでしょうか?
また、その低迷を解消出来るとすればそれは何でしょうか?
私は、単純に批判や客観的な意見を言う気はありません!解決案を持っています。
しかし政治家でもなく、大企業経営者でもなく、日本のベンチャー倒産第1号と言うレッテルを持つ身で
何が出来るのかと思われる人が殆どと思います。

まず、通常の経済人が言わない日本経済が今に至っている大きな問題点を説明します。

戦後日本の経済成長はめざましい物でした、作れば売れる。どんどん輸出も行い、応用技術も発展し
どの様な分野でも世界に対抗できる力を培ってきたのです。そんな日本の経済が本質的に弱くなった時期と言えば
不動産バブルの時かもしれません。
その意味では、不動産至上主義が、日本経済の最大の問題点かもしれません。
私には、それだけではない問題が見えています。
その一つが、生産分野の問題です。日本では、殆どの生産分野で、人件費の安いアジアの各国に工場や生産ラインを
移す企業が増えました。ところがある時期から、その生産地を、アジアの別の国に移転させたり、ちょっと日本の景気が
悪いなどの理由で、工場閉鎖を行った企業が多いのです。またこれらのアジアの工場は、全自動化(半自動)した設備に
よって生産が行われています。
ではこれらのアジアの閉鎖した工場はどうなったと思いますか?実は多くの閉鎖工場では、設備などがそのままに
なっている事が多く、各国では、この閉鎖工場で、自国の経営者や国の庇護の下で、再度生産を行っているのです。
また設備は、日本の自動化設備ですから、自動化設備機材を生産する日本の企業は、アジア各国の工場の設備に対し
メンテナンスを行い、また次の機材も紹介しているのです。そんな工場で生産される商品は、自動化と工場人員の
ローテンション(24時間)で1日中生産する工場になっていったのです。
その生産品には、技術的に複雑な商品を作れるものもあり、ローコストに作られ続けるのです。
逆に、日本では分業化が進み、トータルな生産技術を持つ技能者は、次々にいなくなっているのです。
これら生産分野だけを見ても、日本には大変な危機が来ていると言えます。

不動産でも一部の商業地が価値(担保能力)を持つ反面、重要で大切な日本国領土の中で、自然な場所など
担保価値は無い土地が、海外資本によって、購入されているのです。
直近で、ビジネスを考えすぎた結果ともいえます。

経済活性化の具体的提言(本当の具体的アイデアがなければ意味が無い)*実行可能な
経済を語る人は、経済学を学び、専門用語を駆使し、都合の良い数字をトリックの様に使用し
現実論を語ります。当たり前のことですが経済の基本は収支です。都合の良い数字で、
ごまかしてはいけません。
本当の現在の日本の経済がどうなっているかは、経済経験と商売経験の両方を理解する者が
行う必要があります。
しかし現実は、自分で完全独立で商売をした方が、経済を語る事は少ないのです。
組織経済は、このような人々を、大勢作り上げてきました。
もう一度商売(ビジネス)の本質を理解し経験する事が重要です。

地方自治体・国家レベル・組織化された大手企業から中小企業・ベンチャーにいたるまで
経済の活性や企業の活性には、現場レベルの経済活性企画(本当の意味の商売)が重要です。
しかし、それを不可能にさせているのは、日本はこうなのだと言う常識や、妥協・肯定・社会判断です。
私は長年インディペンデントな立場で、実行可能な事業アイデアや新商品開発を行ってきました。
そして、それらの多くは、今でも実践可能な物が多くあります。

●中田の友人・知人
私の友人・知人は、圧倒的に経営者ばかりです。大小を問わず、独立系の会社オーナー社長です。
私は、日本的ビジネス矛盾を克服し、戦っている彼らが好きです。
常に、ビジネスチャレンジを一生続ける意欲ある人々を好みます。
勿論その対象がビジネスではなくNPOやNGOでも、あるいは文化事業でも、こだわりを持たず
実践行動で完成させようとする方々を応援し、協力したいと考えています。

職業  株式会社マーユ代表取締役 

特記業務歴 2003年度ナノテク世界大会審査委員(NEDO主宰)
          ベンチャー企業特別経営コンサルタント業務30社以上
          ビジネスモデル特許 IS嘱託 
          (この出来事以後ビジネスモデルと言う言葉が多く使われるようになりました。)
          各団体主催の経営者会でパネラー及び講師職経験

○出生地 広島市  ○年齢 昭和27年生まれ 59歳
○ビジネス・スタート年齢19歳  中田宛メールは、info■21j.com
○関連ドメイン 
http://www.21j.com
http://www.meibis.com

○赤文字をクリックして下さい。(私が行った事業アイデアと新商品開発の記事です)
中田耕市(籍名耕一)のビジネス履歴と内容(明細は次ページ)
特に日経新聞記事中心*記事レポートページへ飛びます。

○下記は記事類のタイトルです。
●日本で最初のパソコンショップ店長 1975年頃 (アスター・コスモス)
●インベーダーを開発したと言われるが「間違い!」1976年頃 (中田個人)
●秋葉原電子ショップ設立(個人)
●コンピュータ事業 パソコン開発製造
●株式会社AMC設立、世界十数国に関連会社設立
売上100億円以上となるが、いくつかの出来事により倒産
●応用工学研究所研究員に就任 1985年頃 (中田個人)
日本で初めて、「オークションによるM&A」
1987年5月15日 日本経済新聞と日経産業新聞記事あり 
日本で初めて、「求む工場」と言う企画 
1987年8月12日 日経産業新聞記事あり 
「社外スタッフ」と言う企画 
1988年 日経産業新聞記事あり 
●半導体メモリーと言う「電子の米」 
1988年12月23日 日経産業新聞記事あり  
●「航空機ビジネス」の推移 
1989年4月13日 日経産業新聞記事あり 
●日本初のノートパソコン「TheBOOK」の特命プロジェクト(中田個人)
●MACの世界へ一石! 1990年頃 
1990年6月19日 日経産業新聞記事あり    
●イ・アイ・イ(EIE) ブランド周辺機器の開発と製造
1990年6月29日 日本経済新聞と日経産業新聞記事あり 
●ダイアルQ2用コンピュータの開発 
1990年12月12日 1991年7月18日 日経産業新聞記事あり 
街頭キオスク端末の開発 
1992年1月14日 日本経済新聞記事あり 
●バーコード・システム
1992年2月28日 日経産業新聞発表 
WINDOWS・システム 
1992年3月22日 日経産業新聞記事あり   
●日本で2番目のCDROMライター開発 
1992年4月23日 日経産業新聞1面記事あり  
●電子紙芝居開発・商品化 
1992年9月22日10月14日他 日本経済新聞と日経産業新聞記事あり
●周辺機器開発 販売
1992年7月2日 数回 日経産業新聞記事あり    
●PET業界にチャレンジ! 
1992年9月23日 日経流通新聞記事あり    
「著作権フリー」と言う行動全般 1993年より継続
1993年3月10日 日経産業新聞記事あり
●CDR音楽用 1993年頃 
1993年5月25日 日経産業新聞記事あり 
●「総務君」開発 1993年頃     
1993年6月30日 日本経済新聞記事あり
全200巻以上のオリジナルCDROMコンテンツ製作編集1993年から継続
1993年8月19日 10回以上 日経産業新聞記事あり   
●大学生住所禄CDROM 1993年〜95年頃
1993年8月19日 3回以上 日経産業新聞記事あり 
●合成写真印刷開発 1993年   
1993年11月1日 日経産業新聞記事あり 
上海師範大学電机科客座副教授就任 (中田個人 証書)
1994年 日経産業新聞記事あり 
●音声CDも! 1994年頃  
●CDROMメディア製作 1995年頃 
日本初の提言実践「全社員役員制」1995年頃
1995年1月19日 数回 日本経済新聞と日経産業新聞記事あり 
現地法人設立業務 1995年より 
1995年4月13日 日経産業新聞記事あり   
●ゲオGEOとの取り組み意図 1996年頃  (中田個人)
1996年5月 日経産業新聞記事あり
●中国の大学へ留学斡旋 1995年頃
1995年6月12日 日経産業新聞記事あり       
●インターネット事業 1996年頃 
1996年6月19日 日経産業新聞記事あり
「ビジネスモデル特許抵触の可能性」作成と発信と影響 (IS嘱託)
ビジネスモデル関連 記事、ネット記事、特許関連参照
●家庭用ゲームやTV用飛び出す3D装置の開発(3D技術開発本部長)
2001年8月10日 インターネット各種記事参照
●裸眼立体視液晶モニター(メガネ不要)開発(3D技術開発本部長)
2001年10月16日 インターネット各種記事参照
●関電工との提携、コロンブスLAN発売(ネットハンズ代表取締役会長)
2002年8月22日 インターネット記事参照 日本経済新聞他
クレジット電子決済会社と提携・開発(ネットハンズ代表取締役会長)
2002年9月9日 インターネット 日経産業新聞記事あり
●携帯電話写真転送システム 販売(ネットハンズ代表取締役会長)
2003年3月3日 インターネット 日経産業新聞記事あり
●日本経営者同友会 専務理事就任(2009年退任)
2003年8月 同友会URL参照
●ネットハンズ会長退職
●メイビスを社名変更株式会社マーユとなる MAYUMI HASEGAWAブランド本格始動
●2003年アパレル事業参入(高級手作りマウスパッドで話題)(特許申請)
●2004年各社と新規事業スタート
●2006年ニューパラダイム役員就任 3DWEB立体(裸眼立体)開発
 文化放送出演・マスコミ話題になる
●2007年 米粒に写真をプリント開発話題になる TV全国放送紹介
(2008年ビジネスサテライトトレンドたまご年間入賞)
●2009年 写真から実物の大きさの立体リアルマスク製作 話題になる(特許申請)
 TV全国放送「ピンポン」「スッキリ」で紹介される

(リアルなお面ストラップはNHKでも紹介された)
●写真から、立体物を作成する事業を本格的に開始。

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   特に希望があれば、新聞記事閲覧は可能です。

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