●インベーダーを開発したと言われるが「間違い!」1976年頃 (中田個人) 私は、マイコン・ショップを自分で立ち上げようと思い、秋葉原に店舗を探しました。 万世橋と昌平橋との中間付近の1F2Fに店舗を持つことが出来ました。 そして、会社設立を行いました。 中古電子機器からパソコンや周辺機器までを取り扱いし、またオリジナル開発品を 作って売ったのです。 その頃の代表的な作品が「音声メモリー」でした。 デジタルでマイクの音をメモリーに記録する。当時としては画期的な商品でしたが すぐメーカーに真似をされて、特許の重要性をつくづく感じたのです。 そんな折に友人から紹介されて、アミューズメント関連企業とのお付き合いが始まりました。 業務用アミューズメント機にかわりATARI社のTVゲームを内蔵させる仕事です。 民生用を業務用に使うのです。 簡単にゲームが楽しめるようにしたい、そんな打ち合わせで生まれたのがテーブル型の 喫茶店用アミューズメント機でした。 内蔵させたゲームは、「テニスゲーム」「ブロック崩しゲーム」の2機種です。 特に「ブロック崩しゲーム」は、流行りました。これで予算が出来た私は、 何か新しいゲームはないかと躍起になっていました。 そんな時、ゲーム業界に詳しい友人が教えてくれたゲームがインベーダーであったのです。 すでに業界では評判になりつつあったこのゲームは、USAのミッドウエイ社が原型開発した物 なのですが、従来品と違いマイコンが内蔵され、ROMプログラムで動作する画期的なものでした。 しかし輸入金額は高額で、ゲーム商品としては、効率の悪い物でした。 私は、親しいPCB(プリント基板)メーカーと打ち合わせし、このゲームのコピー品を作ることと したのです。 (注)もう時効ですが、歴然とした著作権・特許などの違法行為です。 しかし回路図もなくプログラムリストもない状況ですから、コピーといっても大変な作業となりました。 マイコンに詳しいことが幸いして、どうにかインベーダーは作成が可能となったのです。 自分では、この行為に気が引けて、プログラムのオリジナル変更やキャラクターの変更なども 行いました。 気が付くと、毎日現金をトランクに詰めたお客様が来社され、どれほど作っても追いつかない有り様 でした。 と同時に、他でも一斉にコピーが始まりました。今の代表的なゲームメーカーも殆どが コピー品を作り始めたのです。 同時にインベーダーに使用される半導体も高騰し、現金で100倍の価格でも買えない始末でした。 いつか時間のある時に、このインベーダーの物語を書きたいと思っています。