●半導体メモリーと言う「電子の米」  1988年12月23日 日経産業新聞記事あり  半導体メモリーの商売に関わった人は、意外に多いと思います。 電子機器を専門としない人でも半導体メモリーを知る方は多くいます。それは、このメモリーが 「電子機器」の「米」であり、この米の取引が、たとえ1億円でも5億円でもキャッシュ・オン・デリバリー (現金取引)されたからです。 実は半導体やメモリーが高騰したのは、前出のインベーダーの頃でした。 インベーダーのヒットに伴い使用される半導体は、市場で高騰しました。 例えば100円のものが5000円になる程でした。 半導体の高騰は、それ以後メモリーを中心として1990年代まで続いたのです。 しかし、日本経済は、半導体工場を「不沈艦大和」と言う過去の反省なく、企業のみならず 関連官庁を巻き込み多額投資したのです。半導体は、こうして一時期は、日本が席巻することと なりました。メーカーは、この半導体デリバリーについて、まるで協定を結んだように、 出荷制限を行いました。それが健全であると考えた行動であったと思います。 その為に、一部の人が暴利をむさぼったともいえます。 結局、韓国工場が半導体を出荷し始めた途端に、すべてのルートが狂い、半導体の市場は 終わったと言えます。こうして不沈艦大和は、再度沈みました。 追記:半導体はメモリーが中心にされていますが、本当は日本で生まれたと言えるCPU 中央集積回路が、中心技術です。これがなければ今のパソコンそのものが意味を無くします。 プログラムも成立しません。しかし日本の電子技術系大手企業は、この日本発ベンチャー技術の 粋であるCPUを捨ててしまったのです。そして今やあらゆるパソコンには「インテル入ってる」 アメリカの技術となってしまったのです。残念です・・・永遠に